赤帽にお願いして引越した経験のある知人によれば

トヨタの張社長は、次のように語っている。「政治的に出ざるを待ない状況がありましたから、ある程度は仕方ない、というスパッとした割り切りが必要だつた。逆にいえば、日本に一体何台残るのだ、という議論がありました。
(トヨタの)国内生産が四〇〇万台だつたのが、三〇〇万台から三五〇万台に減るだろうと予想した。だから、ウチはその生産台数に合わせて採用を見合わせて(自然減で)社員の数を減らしてきた。でも、空洞化するからといって、工場の海外転出をやめようという話はあせんでした」
「政治的に出ざるを得ない状況」というのが、八一年に始まった米国の 「自主規制」 であり、「三〇〇万台から三五〇万台」 というのは、九五年の日米自動車交渉の結果、トヨタが大規模な形で米国での現地生産に踏み切った後の、国内でのトヨタの生産台数のことだ。
「トヨタでいいますと、バブルのときに七万人だったのを、九六年くらいまでに六万三〇〇〇人、つまり七〇〇〇人ほど減らしました。