私の人生は平均的な人の人生より不幸であった。
人の幸福度を100点満点で考えた場合。
普通の人の幸福度が70点だとすれば、私の幸福度は30点程度。
不幸な人生である。
でもなぜ自分がこんな不幸な人生を歩んでしまったのか?
私がブ男だったわけでも障害者だったわけでもない。
育った環境が悪かったわけでもなければ、悲惨な状況にあったわけでもない。
外的な要因はよくもなく悪くもなく。
また私自身、とんでもないぐらい変わった人間でもない。
ごく普通の環境に生きるごく普通の人であったにすぎない。
ただ私が不幸になったのは、
それは自分自身のことを自分が分かっておらず、誤った選択を繰り返してしまったからだ。
8日の日記に職場の杉田(仮名女性37歳独身)からひどい目に遭った話を書いたが、
私がこんな目に遭ったのには、職場内での差別がある。
「佐藤だからやっちゃえ」みたいな感じでやられたのである。
そんなことは分かりきっているが、おくびにも出せない。
ただ「この職場で自分がよい思いをすることはない」転職でもしようかな。
と考えるしかない。
私は、若い頃、無知だった。
まず「なりたい自分」があり、がむしゃらにがんばってきた。
自分がどんな人間で、どんなことに興味があり、
そして「何に幸福を感じるか?」
その一番、大事なことを見落としていた。
先月の歓送迎会で課長がこんな話をしてきた。
今度の課長は女性で独身者である。
彼女は壁に囲まれた部屋にいるのが苦手だと言っていた。
それを聞いた時、同じ独身者といってもこうも感覚が違うのかと驚いたものだ。
私自身は、壁に囲まれた部屋にいると安らぎを感じ幸福な気分になる。
私の他、誰もいない部屋で、ごろごろしているのが好きである。
留置所に収容されても、さほど苦痛には感じないだろう。
私自身、人間関係のトラブルが多い。
それは私に権威がなく差別されているからだ。
差別されてるがゆえに、他の人ならトラブルにならないことでも、相手は私をなめてかかってきてトラブルに発展してしまう。
とりわけ、幼稚で頭のレベルが低い人などは手に負えない。
彼らは相手が何を言っているかではなく、
組織の中で相手がどの地位にいるかで、その人に対する対応を変える。
飲み会でのうわさで、どのように対応するか決めてしまう。
「なるほど、私は裏では相当悪く言われているな」
だがしかし、トラブルが起きれば、
トラブルを起こしやすい人だと言われ、さらなる差別をよぶ。
完璧な幸福はない。
どこにいっても不幸はある。程度の問題だ。
行動してしまうことでさらに不幸になってしまうこともある。
ALP COMPANYのセミナーには、行ってはいけない。